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『蹴りたい背中』綿矢りさ | 日本

『蹴りたい背中』を読んだ。
綿矢りさは初期の2冊を読んでいる。
100ページ過ぎるまで少し読みにくく思っていたが、ラストが近づいてくるとスピードが上がった。
10代の、ある意味単純な、それでいて捻くれた感情の嘘の無さがそのまま描かれているところが良かったと思う。

綿矢りさは、とても言葉選びが上手だ。
ごく普通の単語だけで、その瞬間を定める。ほかとは異なる人物の心情、個であることにこだわり、どんどん孤独へと突き進みながら、それを読む読者にとっては「私も同じ」を呼び覚ます。
これが普通の言葉で日常の孤独を焼き付けること、物語るということなのかもしれない。

『蹴りたい背中』を読んでいると、少しだけ自分の高校時代を思い出す。
わたしはここまで孤立した学校生活ではなかったし、どちらかというと仲の良いグループがあった方だけど、根っこの考え方は主人公に少し近い。最も近かったのは、小学生の時だったかもしれない。中学2年生の頃だったかもしれない。
ずっとこのようではなかったけれど、時々、無性に一人になりたかった。
まわりの生徒や先生に対して腹が立っていたのだろうか。その頃はそう感じていたかもしれないし、いまとなっては思い出せないけれど、ただ、プライドが高くて、自分を曲げられなかった気がする。だから相手をある意味で見下していたし、そのような時期だったのだろうと思う。
一方で、高校時代ならではのバカバカしい思い出もあって、大人から見ればそれは青春そのもののようにキラキラしている。一瞬のまぶしい恥ずかしさだ。

あの時のわたしには、全部が同じ等しさで、全部が本当だった。大事なことも、小さなこだわりも、しょーもないことも、すべてまったく差がなくて、同じ重さをしていた。真剣でもあり遊びでもあった。
だから大人の目には輝いて見えるのだろう。
『蹴りたい背中』を読んで感じるのは、そのような、かつての自分であり、おそらくいまの若い人たちも同じであろう傍若無人な無邪気さ、悪意、そのようなものだ。

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